2007-02-07 第166回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第1号
この三国同盟問題というのは、もう昭和十四年、前の年の十四年は、平沼内閣のときにもう大もめにもめまして、結局、その同盟は結ばなかったといういきさつがあるんですが、それをもう一遍ドイツが蒸し返して持ってきまして、いきなりこれを突き付けたわけです。
この三国同盟問題というのは、もう昭和十四年、前の年の十四年は、平沼内閣のときにもう大もめにもめまして、結局、その同盟は結ばなかったといういきさつがあるんですが、それをもう一遍ドイツが蒸し返して持ってきまして、いきなりこれを突き付けたわけです。
それから後、御承知のように一九三九年、昭和十四年ですが、平沼内閣のときに満州開拓政策基本要綱というのが出されて、東亜新秩序建設のために日本内地人、農民を中核とした新しい秩序の確立を推し進めるということが発表されている。だから、この中国残留孤児というのは、中国に対する侵略戦争なりその国策を進めたその犠牲者とも私は言えるということを申し上げたいわけです。
たとえば一九三九年に、先ほども申し上げました世界のだれもが信ずることができなかったスターリンとヒトラーが結びまして、独ソ不可侵条約というものを結んで、当時の日本の平沼内閣は、欧州情勢は複雑怪奇として崩壊しているわけですよ。
かつての昭和十四年の平沼内閣の総辞職のあの理由以上に重大さを持っておる、このようにわれわれは感ずるのでありますが、総理の御見解はいかがでありましょうか。
それが平沼内閣のときに、赤だといって企画院から引っ張られたことがある。あのような、小作料を上げることをはっきり禁止する。それから、小作料を引き上げる、これはやはり当事者間の問題ですが、そこで農民組合なんかができるようになるのです。あのとき農民組合は公認されていなかったけれども、小作料が五割五分から六割ぐらいのところからずっと下がってしまったのです。
そこで、近衛内閣が退陣して、平沼内閣のときに地主が騒ぎまして、小作料を上げることができないような法律をつくったやつはだれだ、草案をつくったのは農政課長の和田博雄だ、こういうので、和田博雄氏はそのときにすでに企画院にいっておった、それを平沼首相はけしからぬといって、企画院におりました勝間田君らを引っぱって投獄した。そういうふうな問題があるわけです。
○稻村(隆)委員 いま農林大臣、お聞きになったと思いますけれども、こういうふうに小作料というものはだんだん下がっていったのでありますから、当時の平沼内閣のときに、農地開放という、つまり日本の歴史の上におきましては、大化改新以来二度目の大きな土地改革なんですが、こういうときに地主が開放した価格というものは、そういうふうな時勢の推移によりまして、つまり資本主義の発展に従って、開放以前にすでにもうそういうふうに
平沼内閣でも有名で、自分でわからないのが、これが複雑怪奇であります。自分で自分がわからない。一体どういう機関に諮ってやるのか、いつまでにやるのか、そうしてやったならば、六月に行かれるそうでありますから、国会において堂々と所信を出さるべきだと思うが、いかがでございましょう。
また、昭和十四年には、平沼内閣の桜内農相のもとで農林参与官に任ぜられ、農林行政に参画されましたが、昭和十七年の、いわゆる翼賛選挙には、非推薦で立候補して次点となり、雌伏のやむなきに至ったのであります。 終戦直後、昭和二十年の秋、鳩山君が安藤正純君、三木武吉君等同志とともに日本自由党を結成されるや、君は、これに欣然参加し、翌二十一年四月の総選挙で本院に復帰されました。
大審院院長をやめた人でも、平沼内閣の牧野菊之助は大審院長をやめた後勅選議員になつておる。むだなことを言うようですが、牧野氏は火事を起して奥さんが焼け死んだということが当時ありました。いやしくも日本の一番最高の裁判所である大審院の院長をやつた人が、たとえやめた後といえども火事があつて奥さんが焼け死んだというようなみつともない姿を世界に示すというようなことは、非常な恥さらしだ。
三国同盟について平沼内閣は数十回も内閣の会議を開いている。それから大西洋条約の問題についても、フランス議会で一年もかかつている。これはすなわちドイツが強くなると困るという心配から来ておる。
かの戦時中に、平沼内閣は、日独伊軍事同盟締結にあたり、七十六回の閣議を開き、遂に意見の一致を見ずして、複雑怪奇という言葉を残して内閣総辞職を行つているのに比較いたしまして、まことに雲泥の相違があるといわなければなりません。(拍手)旧憲法下においてさえ、平沼内閣の閣僚は、日独伊軍事同盟の国家の安危に及ぼす影響を考え、これだけ真剣に問題と取組んだのであります。
昭和十四年の四月八日に法律第七十七号で、宗教団体法が平沼内閣の荒木文相のときに成立したのです。これによりますと、明らかに宗教と神社をわけられた。